株式会社カメックス
TEL:03-3916-6161

TOKYO@KAMEX.CO.JP
 

渡辺天城様を偲んで

 
 
■□ マハムニ母子寮 □■


バングラデシュ第2の都市チッタゴン郊外のマハムニ村に有る。パキスタンからの独立戦争(1971年)で、
両親や夫を失った孤児や母親の窮状に心を痛めた日本人僧、渡部天城様が作った施設。
KAMEXインフォメーション
 
 
 
 
 
■□ 母子寮 □■


入寮者は5歳から23歳までの男女役100名。独立戦争から時を経て、今では孤児よりも極貧家庭の子供が多い。
カメックスは、メルクロス株式会社の大塚会長と奥様のご縁で、マハムニ母子寮の運営に、微力ながら応援している。
KAMEXインフォメーション
 
 
 
 
■□ 渡辺天城様 □■


残念な事に、身も心もマハムニ母子寮の運営に捧げた渡部様は、2002年4月、母子寮の子供達に囲まれて息を引き取った。
バングラデシュの大地に染み込んだ90歳の一生だった。
KAMEXインフォメーション
 
 
バングラディッシュで2002年、天寿を全うした渡辺様は少なからずカメックスと縁があった人物です。個人のご冥福をお祈りするとともにここに渡辺様の残した足跡をご紹介したいと思います。
どこの新聞社の記事か分かりませんが出ていた記事を抜粋させていただきます。
著作の関係もありますのでもしこれをお読みになり新聞社等が
お分かりの方はお教えください。クレジットに新聞社の名前を記載します。


とても懐かしい写真です。渡辺様が当社にきていただいたときのスナップです。




「みんなわが子」日本人僧の慈愛

バングラディッシュ第二の都市チャッタゴン。その郊外の農村にある「マハヌニ母子寮」が今年、開設十五周年を迎えた。パキスタンからの独立戦争(1971年)で、両親や夫を失った孤児や母親の窮状に心を痛めた日本人僧、渡辺天城さん(76)が設立した施設。現在、「母」は寮名に残るだけで、貧しい家庭の子供百人を預かり、面倒を見ている。
寮の「いま」を紹介する。
文 神田和則(社会部) 写真 岡本義彦(写真部)

          

渡辺天城さん 戦禍に希望の灯15年
教育、就職…孤児らの自立助け
「ウバステート!(出席しています=ベンガル語)」「ウバステート!」
 午前八時半。医務室を兼ねた教室棟一階のテラス。並んで床に座った子供たちの名前を渡辺さんが読み上げると、元気いっぱいの返事。
 寮の朝は早い。六時に起床して、おかゆを食べ、一時間の自習を終えたところ。点呼が済むと、それぞれの学校へ通う。

 ここ、ハマニム村は、仏教徒が人口(一万五千人)の半数を超える。イスラム教徒が約90%のこの国で、こうした国は珍しい。入寮者は五歳から二十三歳までの男子五十七人、女子四十八人。村や周辺の少数民族の仏教徒、ヒンズー教徒の子だ。独立戦争から時を隔てても、国の貧しさに変わりはない。今では孤児より、極貧家庭の子が圧倒的に多い。

 渡辺さんは静岡県生まれ。建設会社に勤務した後、出家した。1936年、日本山妙法寺の僧としてインドに渡り、インドで三十五年間修行と布教を続けた。72年、独立直後のバングラディッシュを訪問。戦災孤児や母の姿に衝撃を受け、一時、帰国し募金活動を始めたが、「本当に人々が独り立ちできるような手助けを」と考え、自ら住みついて、この施設をつくった。

 「一人ひとりの成長は早い。夢中になっているうちに十五年が過ぎた」と渡辺さんは振り返る。
 この間約四十人が寮を巣立った。バングラディッシュでは、学校に通えず、路上で、働き暮らすストリート・チルドレンが四百万人以上いるといわれるが、寮の子は教育を受けられた。「一人の求人に五十人が詰めかける」といわれる就職状況の中で、寮を出た四十人は外資系企業のビジネスマン、医療検査技師、救急車の乗務員、事務員、店員などの職についている。

 今年五月末、寮生の最年長だったニョータマン・マルマさん(23)ら男女三人が、渡辺さんの世話で日本に渡り、東京都内で布団づくりの研修を受けている。将来は、寮の敷地に布団の作業場を設け、自立へのステップアップにするのが、渡辺さんの夢だ。

 「子供たちの中に飛び込み、大地にツメ跡を残すような支援のあり方を、私は目指した。貧しさに耐え、人の痛みを知る子に育ってくれたら……」
 渡辺さんの実践は、今日も続く。

※文中のふとん作りの研修はKAMEXのことです。